人類は、アフリカで誕生し、70万年をかけて、5大陸に広まったとされています。
日本に人類が来たのは、約4万年前と言われています。
しかし、人類は皆同じ遺伝子(DNA)を持っています。だから、ヨーロッパ人と日本人が結婚しても子供が生まれますし、アフリカ人と日本人が結婚しても子供が生まれます。
同じ遺伝子だからこそ、子供が生まれるのです。
オリンピック競技も、同じ人類同士だからこそ、競技が成り立つのです。馬と人間が走る競争しても競争は成り立たないでしょう。イルカと人間が泳ぐ競争をしても、人間はイルカにはかないません。
同じ遺伝子を持つホモ・サピエンスだからこそ、競争が成り立つのです。
そう、人間は、皆兄弟なのです。そのことを基本に据えて、世界の人たちと仲良くしていくことを考えていきたいと思います。
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私の両親は2人、祖父母は4人、曾祖父母は8人です。
このように約25年で直系の親(尊属)を増やしていくとすると、いつころ、1億人を突破するのでしょうか。26代(650年)前に1億3421万7728人になるのです。650年前というと、丁度1362年になります。1362年というと、足利義満の時代で、南北朝統一(1368年)の6年前です。
30代(750年)前になりますと、21億4748万3648人になり、当時(1262年)の世界人口を遥かに超えていたでしょう。
1262年というと最初の元寇(文永の役・1274年)の12年前ということです。
もちろん、上記の計算は、親戚同士の結婚がないことを仮定しています。しかし、それにしても、30代前に遡れば、少なくとも日本人は、すべての人の血がつながっていると言ってもいいでしょう。
差別、いがみ合い、罵り合い、何と愚かな行為でしょう。日本人は、皆、血のつながった兄弟なのに……。
縄文時代、日本には約8万人くらいの人しか住んでいなかったといいます。そのころの狩猟採集生活では8万人の人の生活を支えるのがやっとだったのでしょう。
このころは、貧富の差もなく、皆が集めた木の実や野兎やイノシシの肉、川魚、海魚を分け合って生活していたのでしょう。
人口が増えだしたのは、農耕生活が始まった弥生時代、富を蓄えた者が富の無い者を支配した時代です。九州にあったとされる奴の国の存在は、既に奴の国が国王を抱いていたことを示し、邪馬台国の女王卑弥呼が、生口(奴隷)を魏の国王に献上していることから、相当貧富の差が出てきたものと思われます。
5世紀(400年~500年)の時代には、仁徳天皇や応神天皇が出て、世界最大級の墳墓(古墳)が造営されます。このころには、支配層と被支配層がはっきり分かれていたことが窺えます。
しかし、次節に述べるように、日本人は、皆、血のつながった兄弟だと思います。
バブルのころでしたが、ある駅前に300坪の土地を持っていたAさんが、その土地を売却し、不動産所得税を差し引いても6億円くらいの現金が残ったそうです。
Aさんは、公務員として、それまでつつましやかに生活していたのですが、6億円の現金を手にして、働いているのが馬鹿らしくなり、公務員を辞めてしまったということです。それからというもの、Aさんは、毎晩キャバレー通いをし、6億円のお金も10年くらいでなくなってしまったと聞きます。果たして、Aさんが6億円を手にしたことが、幸せだったのでしょうか。私には、そうは思えません。むしろ、6億円のお金を手にしたことで、Aさんの人生は狂ってしまったのです。
お金は、働いて得るものです。天から降ってきたお金は決して人を幸せにはしません。
現在発売されているジャンボ宝くじは1等・前後賞を含め5億円になるそうですが、お金は、健全な経済活動や労働によって得られるという我が国の公序良俗に反するのではないかと思います。1等に当たった人が勤労意欲を失くし、ほとんどの人が不幸になっていると聞きます。
20年ほど前の話で、新聞で知ったのですが、長野県で宝くじに当たったBさんが、「宝くじに当たった!当たった!」と職場の人に吹聴したそうです。職場の人たちから、「宝くじに当たったのだから、奢ってくれ」「寄付をしたらいいのに」「けちくさいことをするな」など、羨望と嫉妬の言葉を連日浴びせられたそうです。Bさんは、ある日、職場の人たちを集めて、「これから宝くじを焼く」と言って、その場でライターに火を点け、当選宝くじを焼いてしまったそうです。この人は、宝くじを当てた不幸を身をもって知ったに違いありません。
このように、宝くじを当てた人は、不幸になっている例がほとんどであると聞いていますが、唯一不幸にならなかった人の例は、農民で、それまでもつつましやかな生活をしていたのですが、宝くじを当てた際にもその全額を預金し、誰にも話さず、それまでと同じような農耕生活で幸せな一生を送ったそうです。
宝くじは、買わない方が良いようですね。
先日、テレビで、織作峰子さんの対談を見ました。
「人一倍の努力をする」
「成功した人は全ての人に分け隔てなく優しい」
という言葉が印象的でした。
随分、美人だなあと思い、インターネットで検索しますと、昭和56年、21歳のとき、ミスユニバース日本代表だったのですね。
ミスユニバースは、1年間、いろいろな雑誌やイベントに出場するらしいですが、1年間限りです。次の年には、次の日本代表が選ばれます。このとき、彼女が有頂天になって、鼻持ちならない人間になってしまえば、それまでだと思いますし、そうなってしまう人も多いと思います。
しかし、彼女は、自分を見失わず、写真家として人一倍の努力をし、写真家として大成されたのです。
彼女は、自分を知っていたのでしょうね。自分を客観的に見ることができる人だったのでしょうね。だから人間としてすばらしいと思いましたし、人間の内面から出る美しさを感じました。
弁護士 田中 清
65歳になった自分を勇気付ける大好きな詩があります。
サミエル・ウルマンの「青春」という詩です。
少し長いですが、その全文を引用してみましょう。
「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。」
どうでしょうか。勇気が湧く詩ではありませんか。そして、弱気になった自分を励ます詩ではありませんか。
何歳になっても、信念、自信、希望があれば若い!!!、そして、疑惑、恐怖、失望と共に老いていくのです。
何歳になっても、若さを失わない自分でありたいです。
弁護士 田中 清
私も、今年65歳になりました。
幼いころ、65歳というと、本当にお爺さんに見えたものですが、自分がその年になってしまったかと思うと、やや複雑な気持ちです。
しかし、まだまだ働かなければなりません。
昔、新聞で、落合恵子さんが、60歳の人からの相談に対し、「まだまだ人生の昼下がり、これから益々楽しい昼と夜が待っていますよ」と答えていました。
人生100年とすると、65歳は午後3時40分です。まだ一仕事できますし、午後6時以降、お酒を飲みながら楽しい夕食もできます。
まだまだ、65歳は若い!!まだまだ、楽しい人生があります。年を取ったなんて言ってられません。頑張ります。
午後9時40分に就寝したとすれば、90歳まで生きることになるのです。午後9時40分なら、十分自分の人生を楽しんだと思いますものね。
弁護士 田中 清
20年くらい前ですが、あるお寺の住職の話を聞いたことがあります。
「人間は、光明を集めることで立派な人格になっていきます。人に尊敬されるような人に成長していくのです。恨み、怒り、貪りを抱くと、その度に光明をばら撒いてしまうことになり、その人の光明は、恨み、怒り、貪りを抱いた相手方にその光明が行ってしまうのです。だから、その人の光明は、どんどん減っていきます。逆に、怒鳴られたり、誹謗中傷を受けた人は、どんどん光明が貯まっていくのです。
だから、僧侶は修行するのです。托鉢をして、各家を回ると、『この乞食坊主あっちへ行け!』と言って冷たい水を掛けられることがあります。そんなとき、私は、その人から光明をいただいたと思って、『ありがとうございました。』と心の中でつぶやいて、深く一礼して立ち去るのです。
光明が一杯になればなるほど、人生が幸せになります。恨み、怒り、貪りが無くなっていくのですから」
人生を歩むうちに、怒りを覚えることもあるでしょう。しかし、怒りをその人にぶつけると、自分から光明がその人に移ってしまいます。
人から誹謗中傷されることもあるでしょう。しかし、「誹謗中傷をした人から光明をいただく」と考えれば、腹が立つどころか、むしろありがたいと思うことができます。
銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清