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イチローの4000本安打達成に思う その1

 ヤンキースのイチロー選手が8月21日のトロント・ブルージェイズ戦で日米通算4000本安打を達成しました。
 日本とアメリカという世界の二大野球大国のトップレベルで4000本ものヒットを打ったというのは、正に歴史的な偉業であり、イチロー選手がプロ野球選手として比類なき選手であることは明らかです。
 王がハンク・アーロンの通算本塁打記録755本を塗り替えた時、米メディアの多くは日本の球場の狭さや投手レベルを引き合いに出しましたが、ハンク・アーロン自身は、王の記録達成に心から敬意を表し、紳士的に祝福しました。そしてフラミンゴのはく製を記念にと王に贈ったということです。
 本当に、ハンク・アーロンという人の人間の大きさを感じます。

 これに対し、通算4256安打を打ったピート・ローズが、日本のような格下の球団での記録を加えるべきではないとか、自分は、マイナーリーグのヒット数を加えるともっとすごい安打数だの弁解していることは男らしくありません。
 しかし、イチロー選手は、2004年にジョージ・シスラー選手の持つMLBの年間最多安打記録(257本)を84年ぶりに塗り替え、262本安打を記録しております。このように、アメリカのMLBの年間最多安打記録を抜いたという1点からも、イチローの記録が本物であるという証拠だと思います。そして、イチローは、MLBで9年連続で200本安打を達成しているのです。日本でのイチローは、確か200本安打は、1994年に1回しか達成していなかったと思います。
 このようなイチローの記録からすると、おそらく、イチローは、最初からMLBでプレーしていたとしても4000本安打はそれほど違わない時期に達成していたでしょう。

イチローは、4000本安打を達成した時のインタビューで答えた言葉は、その1つ1つが名言であり、心に響きます。次回からはその名言の数々をお話ししましょう。
弁護士 田中 清(銀座ファースト法律事務所)
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常磐線の車窓から

二年半ぶりに常磐線に乗り、いわきに行った。
日立から北の車窓には、ときどき海岸線が見える。

あのときは、東日本大震災の直後で、津波の傷あとが生々しかった。
海岸から近くの民家が流され、痛々しい姿だった。
丁度、前のめりに倒れて、膝が擦りむけたように
皮が破れ、血が滲んでいた。

二年半が経ち、民家はすっかり元通りに回復していた。
海岸の雑草も、何もなかったかのように背の丈以上に生い茂っていた。
かさぶたが取れ、傷は癒えたのだ。

弁護士 田中 清(銀座ファースト法律事務所)

世界遺産富士山その3

富士山の名前の由来は、アイヌ語の「フンチヌプリ」(火を噴く山)に由来するという説や、マレー・ポリネシア語由来説などがあるようです。
私は、この中でも、高校時代に習った「竹取物語」が印象的で、忘れることができません。間違っているかもしれませんが、その大筋は、次のとおりです。
かぐや姫が月に戻るとき、嘆き悲しむ竹取の翁に、「そんなに悲しまないでください。最後は、笑顔で見送ってください」と言って、2つの箱を差し出します。1つには「羽衣」が入っており、「この羽衣を見て、私を思い出してください」と言います。もう1つの箱には「不死の薬」が入っており、「おじいさん、おばあさん、私が居なくなっても長生きしてくださいね。これは、不死の薬ですから、永遠に死ぬことはありません」と言って渡したのです。
そして、かぐや姫は、月の世界に帰って行きました。
竹取の翁は、嘆き悲しんで、「かぐや姫のいない世に、生きていても仕方がない」と言って、「月に一番近い場所はないだろうか」と物知りの人に聞くと、その人は、「駿河の国の山が一番高い山で、月に一番近い」というのです。そこで、竹取の翁は、帝が差し向けた大勢のサムライと一緒に、その山に登るのです。そして、その山の上で、「不死の薬」を燃やしたのです。
 平安時代前期のころは、富士山は、常に噴煙を上げていたことは、「その2」で記載しました。その噴煙は、竹取の翁が「不死の薬」を燃やしたその煙が、今も絶えずに煙を上げている、だから、その山を「フジ山(不死山)」というようになったというのです。また、竹取の翁が登るとき、帝が差し向けた大勢のサムライ(士)と登ったので、士に富む山という意味で「富士山」というようになったというのです。
 私は、「かぐや姫」の話は、小さいころから聞いていましたが、かぐや姫の発見と養育の経緯、有力貴族5名からの求婚とこれに対する無理難題、帝からの求婚、月に帰る運命、富士山の名前の由来など、その発想、構成、展開、どれをとっても、すばらしい物語だと思いました。

 富士山を見ることができる都道府県は、22都府県だそうです。東北は福島から、西南は和歌山県までです。
 日本人は、古くから富士山を愛し、信仰の対象とし、美術のモデルとしてきました。葛飾北斎の「富嶽三十六景」、安藤広重の「富士三十六景」「東海道五十三次」、横山大観の「富士山」など、富士を題材とした作品は多数あります。
 だからこそ、「世界文化遺産」に登録が許されたのでしょう。
弁護士 田中 清(銀座ファースト法律事務所)

世界遺産富士山 その2

私は、火山が大好きです。火山は、地球が生きていることを感じられるからです。
さらに、火山は、山容が美しく、その周りも住民が少なく、美しい自然がそのまま残っているからです。現在の日本の国立公園の多くに火山が含まれていること、換言すれば、代表的な火山は、ほとんどが国立公園になっているということもできます。
さらに、私の出身地大阪には、活火山が1つもありませんので、火山に対する憧れもあったのかもしれません。小学校のころ、「西宮市の甲山がトロイデ型火山(釣鐘状火山)だ」と言われたり、「六甲山地自体が昔は火山だった」と言われたり、「奈良の二上山が火山だった」と言われたりしましたが、今はいずれも死火山で、大変大人しい山です。
活火山の定義は、過去1万年以内に噴火したことの確実な証拠がある山と言われています。そして、日本の活火山は、全部で110あるそうです(北方領土の11火山を含む)。
 富士山は、有史以来判明しているだけで43回の噴火記録があるそうです。
 このうち、大きな噴火として、平安時代前期の延暦大噴火(800年ころ)、貞観大噴火(864年ころ)の噴火の歴史があり、そのころは、常に噴煙を上げていたようです。この貞観年間の869年には、三陸沖の貞観大震災があり、大津波が多賀城まで及んだことが記録に残っております。さきの東日本大震災でも貞観大津波を上回る大津波がありましたが、三陸沖貞観大震災と富士山の貞観大噴火が5年ほどしか離れていないことが、不気味ですね。
 そして、1707年12月の宝永大噴火では、駿河、甲斐に大量の火山灰を降り積もらせ、農業にも大打撃を与えたようです。そして、江戸にも4cmの降灰があったと記録されています。新幹線から見た富士山の右側におヘソのようなものが付いておりますが、それが宝永山です。宝永山は山腹噴火ですが、その下には古富士がありますので、古富士の噴火とみることもできるのではないでしょうか。
 そして、同じ年の10月には、宝永大震災があり、東海、東南海、南海三連動大震災があり、大津波で莫大な被害をもたらしたという記録があります。
弁護士 田中 清(銀座ファースト法律事務所)
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