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ミュージカルその2

 6月末ころに軽井沢でミュージカルの合宿をやることになり、私も参加するつもりでした
 しかしながら、仕事の関係で参加できなくなりました。7月、8月もミュージカルの練習は、毎週土、日、水曜日がありましたが、私は、仕事と遊び優先で、ほとんど参加しませんでした。余りにも練習が多く、自分の時間が持てないので、「ミュージカルを不参加にしたい。自信がない」と事務局に申し出ました。事務局の方は、びっくりされて、「三枝団長と相談してみます。」とのことでした。
 それから間もなくの練習日では、良く出ている人とあまり出ていない人との差が大きく出たのですが、自分でも、「何とかできるのではないか」と思い始めました。翌週、事務局に電話をし「何とかやってみます」と伝えました。
 私は、「10月の連休の合宿から真面目に出よう。」と心に決め、それまでは、週1回のペースで参加しました。

 10月11日、12日、13日の3日間、寺田倉庫で合宿がありました。ダンスを中心に、何回も何回も練習しました。私は、後進部隊ですので、先進部隊の人に「教えてください。」と声を掛けたところ、誰もが丁寧に教えてくれました。
 そうしているうちに、少しずつ自信がついてきました。
 一日の練習が終わった後、皆で飲みに行くのも楽しみになりました。私が所属するウルフ団の人の名前も憶え、親しく話をするようになりました。
 それからは、ほとんど毎週土日、水曜日も練習に出かけるようになりました。
 特に、土日の練習は、午前9時から午後9時までという12時間の練習でしたが、終わってから飲むお酒の美味しさで、続けられたと思います。
 12月初旬には、副団長から「インフルエンザの予防注射を必ず受けるように」との指示があり、私の行きつけの医者でインフルエンザの予防注射を受けました。
 そんな中で、12月13日、14日と各12時間の練習があり、15日は、私が所属する東京虎ノ門ライオンズクラブの結成50周年の大会があり、3日連続で大行事が重なりました。
 この3日連続の大行事が負担になっていたのでしょうか。12月17日の朝は、福島県のいわき市に出張することになっており、電車の指定席も取っていたので、出掛ける準備をしていたのです。どの事件も大事なのですが、打合せのように変更できない何か月も前から決まっている法廷でしたので、どうしても行かなければならない事件だったのです。朝ごはんを食べましたが、ご飯が砂を噛むようにまずかったのを覚えております。
 それでも、何とか家を出たところ、足元がふらついていたので、「これは、確実に転ぶのではないか」との予感がしました。案の定、100m歩いたところで倒れ、起き上がってまた100mほど行ったところで、また、転んでしまいました。行き合わせた通行人の男性が「救急車呼びましょうか」とおっしゃるので、「いや、結構です」と答えて立ち上がろうとしましたが、体がいうことをきかず、また、寝ころんでしまいました。先ほどの男性は、「救急車呼びますからね」と言って、救急車に電話していただきましたので、私は、そのまま覚悟を決めて道路に寝ていることにしました。
 救急車の中で熱を測ると、38度6分でした。きっと、出掛ける前は、39度くらいあったのでしょう。それで、朝ごはんが砂を噛むようにまずかったことが理解できました。
 そのうち、警察官が妻を連れてきましたので、妻から青木弁護士に電話してもらい、「今日の出張は行けない」旨を伝えました。

 弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)
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ミュージカルその1

 
 私の所属している六本木男声合唱団倶楽部で、ミュージカルをやると言われたのは、1年半前だったと思います。
 「実際に公演するのは、再来年の1月14日と15日、この両日は、会社を休むように、今から覚悟しておいてください。」とのことでした。
 ミュージカルの内容は、ウエストサイド物語の50年後ということで、ジェット団とシャーク団がそのまま歳をとり、バスケット広場に建てられた老人ホームに入ってきたという設定です。
 その後、著作権の問題があるかもしれないということで、題名も「ウエスト・サイズ・ストーリー」と名前を変え、団もジャガー団とウルフ団という名前に変わりました。「腰回りストーリー」という色気のない物語となったのです。
 踊り(ダンス)は、団員の花岡先生(プロ)の指導を受けることになり、ジャガー団とウルフ団に別れて別々のダンスを踊ることになりました。
 有名人では、鳩山由紀夫元首相、林芳正国会議員、林真理子、宮内義彦(オリックスグループCEO)、西園寺裕夫、近衛忠煇(日本赤十字社社長)など、そうそうたるメンバーです。
 ジャガー団とウルフ団に別れたメンバーも、医者、弁護士、会社社長(元を含む)が6割を占めるといったものです。

 練習は、一番真面目に出た人で、1004時間です。平均すると600時間くらいでしょうか。
 私は、平均より少し少ない350時間~400時間くらいだったと思います。

   弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)

大寒に思う

 今日は、大寒です。1年で一番寒い日とされていますが、本当でしょうか。
 実は、東京では、1年で一番寒い日は、1月28日だそうです。全国的に見ても、1月28日か1月29日が一番寒いという統計結果が出ています。小寒(1月6日)と大寒(1月20日)の間が、一番寒いのかと思うと、そうでもないのですね。

 12月22日が冬至なのに、なぜ、1か月と1週間も冬至から遅れたときが一番寒いのでしょうか。それは、空気や水の熱の伝わり方(熱伝導)が悪いからです。

 真夏の暑さも同じだと思います。夏至(6月22日)から1か月と1週間経った7月30日ころが一番暑いのです。

 今が、寒さの極致、どうぞお身体に注意して寒い冬を乗り越えてください。

弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)

初詣旅行

 今年のお正月は、4泊5日で初詣旅行をしました。
 三越が主催する定員10名の旅行ですが、三越クルーザーという10名限定の観光バスで、ガイドさんも2名付きます。バスのグリーン車のような仕様で、綺麗なトイレも付いています。
 出発は12月31日、東京日本橋の三越前で集合、まず、横浜中華街で昼食、それから御殿場に泊まります。
 次の日は、1月1日、宿からは綺麗な富士が見えました。

    初春の 富士の裾野に 宿を取り

    湯船より 初富士を見る 幸思ふ

  ホテルを立って、名古屋に向かいます。途中から相当激しく雪が降ってきました。これから熱田神宮に向かいます。
  熱田神宮で初詣をするころには、雪も止んでいましたが、すごく寒い思いをしました。

    凍えつつ 熱田の宮の 初詣

 熱田神宮は、三種の神器の一つである草薙の剣を奉納してある由緒ある宮ですが、とにかく寒かったです。
 次の日である1月2日は、一路伊勢神宮に向かいました。途中雪のため伊勢自動車道が一部通行止めとなっていたので、予定より一時間ほど遅れて伊勢神宮外宮に着きました。その日は外宮にお参りし、賓日館を見学しました。そして、その日のホテルである鳥羽観光ホテルに行きました。
 1月3日は、まず二見浦に行き、夫婦岩と二見輿玉神社にお参りし、いよいよ内宮お参りです。伊勢神宮は、昨年20年に一度の遷宮をされたばかりです。
 私の初詣は、小学校の修学旅行以来で、おそらく55年ぶりのお参りで、もちろん、初詣は初めてです。宇治川橋を渡り、しばらく歩くと、五十鈴川の川辺に出ます。55年前の修学旅行の時は、この川辺にたくさんの鯉やもろこなどの魚がいたことを思い出しましたが、寒いときですので、魚は一匹もいませんでした。しかし、この五十鈴川は、上流の人たちも、川を汚さずに気を付けているのでしょう。本当に清らかな流れです。
 初詣の人垣に付いて、内宮のお参りを済ませ、帰途につきました。
 何か心が洗われたように清々しく感じました。

    伊勢の宮  出て清々し 初詣

  弁護士 田中 清

俳句12月

 最近、ブログの更新をしなかったので、少し古くなりますが、昨年の俳句を載せさせていただきます。

    山芋黄葉(いももみじ) 太きさくらを登りけり

 山芋の黄葉が桜の太い木に巻き付いている様です。玉川上水で見かけた風景です。

    短日や 四谷は(午後)四時に 夕焼ける

 12月中旬にもなると、本当に午後4時に夕焼けるんですね。

    庭先の 千両取りて 挿す仏花

 新しい年の準備です。庭の千両を取って仏壇にお供えしました。

    標示板 8℃と差しぬ 小夜時雨

 時雨の夜でした。標示板には、8℃とありました。

    落ち葉して なお実を残す 老柿かな

これも近所の情景です。

    冬至でも 日の射す国の 幸思ふ

夏の白夜がある国では、冬至は真っ暗闇です。私は、日本に生まれて本当に良かったと思います。

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