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犬派と猫派

 あなたは、「犬派」ですか?「猫派」ですか?という話題が結構頻繁に取り上げられています。
 「田中さんは、猫派でしょう。ブログの写真を見れば分かりますよ」という人がいます。
 しかし、残念ながら「当たり」です。でも犬も大好きです。
 
 私は、過去に犬も猫も飼っていました。最近でも8年前まで、犬1頭と猫2匹を飼っていました。
 そして、犬は18年、猫は17年と18年でこの世を去りました。人に話すと「長生きでしたね」と必ず言われます。
 それでは、犬と猫とでは、どのように違うのでしょう。
 頭の良さでは、どちらも同じくらいだということです。人間を100とした知能指数は、犬18、猫17と言っていましたので、まあ、同じくらいと言っていいでしょう。獣医さんは、「猫の賢さには、「ずる」が付きますけどね」とおっしゃっいます。因みに、カラスは意外に高く、17もあるそうです。
 
 犬は、飼い主に従順であり、どんなに興味のあることをしていても、飼い主が呼べば、従います。犬は、散歩をしなければならず、糞の始末も大変です。
 猫は、散歩をさせる必要がなく、清潔好きです。猫のトイレを買って置いておけば、きれいに砂を被せて隠します。皆さんは、「ねこばば」という言葉の由来をご存知ですか。関東の人は、猫みたいなお婆さんをイメージし、「ずる賢くて陰険な」イメージを抱くそうですが、関西の人は語源を必ず知っています。関西では、「うんこ」のことを「ババ」といいます。したがって、「ババっちい」という言葉も「ババ」(うんこ)からきているのです。「ねこばば」は、「猫がババをきれいに砂を被せて隠すこと」から、転じて「横領」することをいうようになったのです。それが証拠に、「ねこばば」をワードで検索し転換すると「猫糞」となります。猫は、面倒でないこと、広い庭や散歩を必要とせず、小さな部屋で飼えることが人気の秘密のようです。猫の唯一の欠点は、非常に身勝手で、呼んでも来ない、気が向いたら来るというところです。
 しかし、猫派は、そこがかわいいというのです。
 また、これは、好みですが、猫は、顔を見ていても、いつまで見ていても飽きないほど、可愛い顔をしています。
 元暴力団員の作家安部譲二さんは、「猫ほどかわいい顔をしているものはない。これは、神様が下さった顔だ」とおっしゃっていました。
 
 私は、盲導犬育成募金活動に携わっていることもあり、犬も大好きなのですが、猫も大好きです。
 あえて言えば、散歩をしなくてもよい、顔がかわいい、糞の始末など綺麗好きであるという点で、猫に軍配を上げたいと思います。

弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)

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歩行者同士の衝突がないこと

 東京駅構内や数寄屋橋交差点などを見ていると、非常に多数の人が歩いていますが、ぶつかっている人は、ほとんど見たことがありません。
 私も歩いていて、ぶつかったことはありませんが、ぶつかりそうになったことはあります。
 それは、すぐ前の人が突然止まったとき、対向して歩いてくる人が目の前で急に進路を変えたときなどです。
 こうしてみると、私たちは、同一方向に歩いている人については、今後も同じ方向にこれまでと同じ速度で歩くものと予測して歩いている、したがって、急に前の人が止まったときは、避けられないでぶつかりそうになるのです。車でも急停車されると、追突しそうになりますよね。それと同じです。
 対向して歩いてくる人についても、同じ速度で同一方向に歩くもの(急に進路を変えることはしない)ものと予測して歩いています。これが、急に進路を変えられた場合には、予測に反する行動として避けられず、ぶつかりそうになるのです。車でも対向車線から、自分の進行車線に急に入って来られたら避けることは困難です。でも、これが歩行者だから何とか避けることができるのだと思います。
 こうしてみると、私たちは、日常的に歩行者とぶつからないように、相手の進路を予測して歩いていることに気付きます。

 田舎から上京してきた人は、「人に疲れる」という言葉をよく使われます。
 この言葉は、日常的に歩行者とぶつからないように、相手の進路を予測して歩くことに疲れるのでしょうか。それとも満員電車の人いきれに疲れるのでしょうか。
 私も立派な田舎者ですが、幸いにして「人に疲れる」という実感はありません。
 しかし、「人とぶつからずになかなか上手に歩いているなあ」とは思います。

弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)

医学の進歩

 江戸時代、あるいはそれ以前、人間の平均寿命は、20歳~35歳くらいではなかったかと思います。江戸時代の歴史を見ていると、次々と跡取り男子が死んでいき、思いもかけない末っ子が跡を継ぐということがよく見られます。徳川吉宗がそうですし、井伊直弼もそうです。
 その時代では、夫婦間の子供は、6人以上というのは珍しくなかったのです。6人以上生んでも、生き残るのは2人くらいですから。

 しかし、現在では、夫婦間の子供は、1人か2人、多くて3人です。兄弟が4人というと、「多いですね。」とびっくりされます。これは、いうまでもなく、医学の進歩によって、簡単には死ななくなったことが上げられます。

 実は、私は、24歳のときに虫垂炎(盲腸炎)になり、入院し、手術を受けました。これが江戸時代なら、惜しまれながら(?)死んだに違いありません。また、67歳のときに、胆嚢結石で入院し、手術を受けました。この病気でも、昔なら死んでいるでしょう。何しろ、70歳は「人生70、古来稀也」すなわち、70歳が「古稀」と言われたくらいですから。
 今なら、70歳で死んだなら、若くして死んだといわれる時代になりました。
 医学の進歩に感謝しつつ、生き長らえた人生を大事に生きたいと思います。

  弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)

「おもてなし」と「一座建立」

 先日、テレビを見ていたとき、ある旅館の主が、「おもてなしを売り物にする旅館は、本物のおもてなしではありません。本物のおもてなしというのは、『何もお構いはできませんが』といいながら、精一杯のおもてなしをすることを言います」とおっしゃっていました。

 また、別の旅館の話です。茶道で、「一座建立」という言葉があります。
 先ほどの話のように、お客さまを招く時には、できる限りのことをしてあげようと工夫します。しかし、お客様の方で、そのおもてなしの心を気付かないでは、折角の旅館側のおもてなしが生きてきません。
 招かれた者(旅館のお客)がそのことを気付いて、旅館側のおもてなしの心を汲み取って感謝する心が湧いてくれば、招いた者(亭主)と招かれた客の心が通い合い、 気持ちのよい状態が生まれます。このことを「一座建立(いちざこんりゅう)」といいます。
 茶の湯の一座は、亭主とお客の双方で作り上げてこそ、何とも言えない気持ちのよい状態が生まれるのです。

 テレビでは、大女将が草花を採ってきて何時間もかけて花を活けていました。そして旅館の主人は、食材を厳選して、少しでもおいしいものを、客に提供しようとしています。
 旅の客は、大女将が活けた草花を見て、本当に感心します。「やはり、心が落ち着きますね」と感想を述べると、大女将は、恥ずかしそうに微笑んで、「ありがとうございます。ごゆっくりおくつろぎください」と言い残して、部屋をあとにします。
 そのうち、夕食の時間になりますが、主人が裏山で採ったきのこや山菜、前の川で取れた川魚、その他の厳選した肉や野菜を食卓に並べます。
 客は、そのおもてなしに心から感謝し、「ああ、おいしい」と何度もいいます。そこで、若女将は、本当に嬉しそうに頷きます。
 「ああ、これが『一座建立』だな」と、つい、口に出ました。

 弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)

最近の俳句(10月)

立ち待ちの 月を愛でつつ 帰りけり

ほろ酔ひて 居待ちの月は 高かりき

 この2つは、月に関する句です。前にもどこかで述べましたが、小望月(14夜)、名月(望月、15夜)、いざよい(16夜)、立ち待ち(17夜)、居待ち(18夜)、寝待ち(19夜)、更け待ち(20日月)と言います。昔から日本人は月を愛で、花鳥風月の風景を楽しんだのです。月は毎日1時間ずつ遅く出ます。立って待ったり、座って待ったり、寝て待ったりしたのです。
 二句目は、酔っ払って、遅く帰ってきたら、居待ちの月は、高くなっていたというものです。

転居して 早や更地なり 天高し

 お隣が引っ越されて、あっという間に、更地となってしまいました。バブルのころ、4億5000万円で購入されたということでしたが、とても、いいお家で、百日紅の花がいつまでも咲いていたこと、門被りの立派な松があったことが印象的でした。門被りの松は、おそらく200万円くらいしたでしょう。

ドライバー 球の行く先 薄紅葉

 薄紅葉(うすもみじ)は、10月後半ころのやっと色づいてきた紅葉のことをいいます。先日、ゴルフをしたときの句です。

雨上がり 雲間に見ゆる 後の月

 後の月は十三夜の月ですが、十五夜の名月に対して、後の月といいます。今年の後の月は、雨上がりで、雲間に見えていたのが印象的でした。

弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)
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