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陸上男子400メートルリレーの銀メダル

 オリンピックの陸上男子400メートルリレーで、日本は、2位に入り、この種目初の銀メダルに輝きました。
 第1走者の山縣亮太選手は「自分の役目は、よい流れを持ってくることだったので、スタートに非常に気を遣った。ケンブリッジがゴールしたときは大変うれしかった」と話しました。
 また、第2走者の飯塚翔太選手は「日本人に走る才能があることを見せられたと思うので、東京オリンピックに向けて頑張りたい」と話していました。
 第3走者の桐生祥秀選手は「バトンを渡したときは、興奮しすぎて何を叫んでいたかわからないが、銀メダルが獲得できてうれしい気持ちでいっぱいだ」と話していました。
 第4走者(アンカー)のケンブリッジ飛鳥選手は「僕はジャマイカの血も入っているので、ボルト選手と並んで走り、ジャマイカと最高の舞台で戦えたことを幸せに思う。4年後はもっといいメダルを目指して、4人で競い合っていきたい」と、東京に向けてさらなる飛躍を誓っていました。
 日本の4選手は、100メートル9秒台が1人もいません。その中で、銀メダルを獲得したことで、世界中の注目を集めたものです。
私も、アメリカを抑えて第2位に入ったことには正直いって目を疑いました。アメリカは、後に失格になりましたが、アメリカが失格でなかったとしても、正真正銘の第2位です。
 これは、バトンパスの時間を最小限に削減したもので、ほとんど全速力に近い速度でバトンを受け取っているのが分かります。
 これは、日本の発明です。しかし、知的財産権と違い、このバトンパスを他国に禁止するわけにはいきません。
 そうすると、東京オリンピックでは、多くの国が日本の真似をしますので、日本は苦しい戦いを強いられるでしょう。
だからこそ、今回の日本の銀メダルは、非常に尊い銀メダルというべきでしょう。

  弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清
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井村コーチとシンクロナイズドスイミング銅メダル

 シンクロナイズドスイミングは、日本のお家芸とも言われ、必ずメダルを取っていたということです。
 しかし、ロンドンオリンピックでは、シンクロナイズドスイミングは、メダルゼロだったため、中国に渡っていた井村コーチを呼び戻したそうです。
 井村コーチの練習は、練習時間12時間、1日腹筋2500回、競泳合計1万メートルという厳しさで、毎日、必ず誰かが泣いているという練習だったそうです。そして、上記の下練習の後に、ようやくシンクロナイズドスイミングの練習があるということです。

 1日12時間の練習と簡単に言いますが、三度の食事の時間で3時間、お風呂で1時間、通勤に1時間と練習時間12時間を足しますと、17時間の必要時間です。1日24時間から17時間を引きますと、7時間しか残りません。つまり、残り時間を全部睡眠時間に充てたとしても、7時間しか眠れないのです。通勤に2時間かかると、睡眠時間は、6時間しかありません。
私は、「銀座ファースト法律事務所弁護士田中清のメモ」でも書きましたが、司法試験の勉強のときは、これまでの勉強時間最高の1日平均10時間の勉強をしましたが、1日12時間勉強したときは、ほとんどなく、せいぜい10時間の勉強時間でした。
 井村コーチが指導する日本シンクロナイズドスイミングの練習時間を聞いて、本当に驚くとともに、「私にはできない」という実感のみでした。

 でも、団体で銅メダルを取った選手の一人は、「楽しいことなんてほとんどなかったが、井村先生に付いてきて良かった」と言っているのを聞いて、本当に良かったと思うとともに、「もし、銅メダルも取れなかったらどうなっていたのだろう」と思いました。

  弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

ある2つの旅館の話

 30年ほど前の夏の話です。
 鹿児島県である事件の証人尋問を済ませて、友人5名と一緒に、宮崎県のとある旅館に泊まりました。
 見るからに古い宿でしたが、周りの景色は抜群で、大きな滝のすぐ傍にありました。部屋に通されましたが、畳はブヨブヨで、もう何年も畳替えをしていないようでした。襖も破れてつぎはぎをしています。
 食事の前にお風呂に入りたいと思い、仲居さんに言いますと、「うちは、大浴場がないのですよ。今すぐ、お湯を張りますので」と言いますので、しばらく待っていました。
 「お客さん。お風呂が沸きました」という仲居さんの案内で、お風呂に行きました。まず、びっくりしたのは、お風呂の狭さです。家庭用の風呂よりも少し広いくらいで、6畳あるかないかです。しかも、そこには洗濯機が置いてあるのです。
 夏でしたので寒くはなかったですが、冬だったら寒かったでしょう。

 夕食に呼ばれたので大広間に行きますと、やはり、畳はブヨブヨです。40畳はあろうかと思われる大広間に、私たち6人のみの卓袱台が2つ一緒に並べられていました。
 真ん中に鍋の準備がしてあり、どうも冷凍の牡丹鍋(イノシシ鍋)のようです。
 「えっ、夏に冷凍の牡丹鍋かぁ。センス悪いなぁ」
 Aさんが叫びます。ほかに、どんな料理が出たかは覚えていませんが、おいしくはないものの、一応のおかずは出たという記憶です。お酒を飲んで機嫌よく寝ました。
 これだけ昔のことを鮮明に覚えているのですから、こんなに見事に印象の悪い旅館はないと思っていました。

 ところが、それに匹敵する旅館に最近巡りあったのです。
 仕事のために、ある温泉旅館に行きました。5名で宿泊したのですが、電車の遅延もあり、旅館に着いたのは、午後8時ころでした。
 着席するなり、仲居さんに「ビールください」と言いますと、仲居さんは、「うちはビールがないんですよ。廊下にある自動販売機で買ってください」と言います。
 「えっ、旅館なのに、ビールがないの」と言いながら、自動販売機に向かいますと、「千円札は使えません」という貼り紙が貼ってありました。フロントで千円札を両替して、ビールを買おうとしましたが、硬貨が落ち続けて、ビールが出てきません。
 仲居さんが、それを見て、「ごめんなさい。自動販売機が故障みたい」というのです。
 それでも仲居さんは、鍵で自動販売機を空けて手を突っ込んで3本の缶ビールを取り出しました。
 3本の缶ビールを飲んだ後、「冷酒はないの?」と聞きましたが、「冷酒はありません。ビールならあと3本は手で取り出しました」というのです。ビールやお酒を断られた温泉旅館は、初めてでした。

 2つの旅館に共通するのは、経営という観念がないことです。顧客のニーズに合わせようという気持ちが欠けていることです。
私は、2つの旅館共に、「もう二度と来ないだろう。来たくない」と思いました。旅館は、顧客に「また、来たい」と思わせてこそ繁盛するのです。
 おもてなしの心が欠けている2つの旅館の例でした。

 弁護士法人銀座ファースト法律事務所  弁護士 田中 清

 

盲導犬を連れていた目の不自由な人の事故について

 今月15日、東京の地下鉄青山一丁目の駅で盲導犬を連れた男性Aさんがホームから転落して死亡した事故がありました。
 一方、盲導犬Bは、無事であり、ホームに残っていたようです。
 Aさんは、白線の内側を歩いていて、ホームから足を踏み外して転落し、折から入線した電車にはねられて死亡したということです。
 通常は盲導犬が線路側を歩くのですが、このときは、Aさんが線路側を歩いていたそうです。きっと左手でハーネスを持つ癖がついていたのかもしれません。
 しかし、なぜ、盲導犬Bだけが助かったのでしょうか。

 Aさんは、ハーネスを持っているはずです。通常ならハーネスを引っ張って、盲導犬Bもろとも事故に遭っても不思議ではありません。
 盲導犬と目の不自由な人は一体です。目の不自由な人は、盲導犬に対し、100%の愛情を注ぎます。
 私の推理ですが、Aさんは、自分が線路に落ちることが分かったとき、咄嗟の判断でBのハーネスを離したのではないでしょうか。
 「Bちゃん。お前だけでも助かってくれ」
 そのようなAさんの叫びが聞こえてくるようです。

 このような事故を防ぐには、全ての駅にホームドアを設置することが望ましいことは、いうまでもございません。しかし、すべての電車の駅にホームドアを設置することは、私鉄経営者にとって困難でしょう。
 次にできることは、目の不自由な人がホームの端を歩いていたら、「危ないですよ」と声を掛け、ホームの真ん中に引き寄せることです。これなら誰でも容易にできることでしょう。
 Aさんも、盲導犬Bを線路側において歩くべきだったとも思います。

 この事件は、盲導犬育成募金に携わっている私としては、いろいろと考えさせられる事件でした。

  弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

重量挙げ銅メダルの三宅選手

 三宅宏実さんが、リオデジャネイロオリンピック大会で、トータル188キログラムで銅メダルを獲得しました。ロンドン五輪銀メダルに続く2大会連続のメダルです。
 スナッチでは81キログラムを2度失敗し、3回目で失敗したら後がないところを3度目で見事成功しました。バランスを崩しながらも、何とかスナッチを成功させたときには、あの可愛い顔が苦しさに歪んでいました。

 そして、ジャークでは、1回目の試技で105キロを成功し、2回目の107キログラムは、失敗しましたが、最後に107キロをクリアしました。
 そして、トータルで188キログラムとなり、3位で銅メダルを勝ち取ったのです。
 三宅選手は、30歳で147センチメートルの身長だそうです。大会前に痛めていた腰の状態が悪化し、今回の大会前に、初めて痛み止めの注射を打ったそうです。
 最後のジャークで、ややふらつきながらも、苦しみを表情を浮かべてじっと我慢していたとき、「ああ、もう、メダルはいいから、競技を止めさせてあげたい」と思いました。そして、その表情を見ているうち、自然と涙が流れました。
 そして何秒か我慢して、バーベルを床に落とした後、両手を挙げ、飛び跳ねて喜びを表現し、バーベルをいとおしそうに頬ずりしました。 その後は、普通の可愛い女の子の表情に戻りました。そして、父の三宅義行監督らが待つ輪の中へ駆け出し、満面の笑みを浮かべてハグをされていました。
 腰を痛めながらも、重いバーベルに挑戦し、成功する姿に本当に心を打たれました。

   弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

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