名護屋城と被虜人
6月末ころ、東京虎ノ門ライオンズクラブの仲間12人で唐津を旅行し、その際、秀吉の朝鮮出兵の際の出城である名護屋城に行きました。非常に広大な城跡で、今や石垣しか残っていませんが、大河ドラマの「真田丸」の影響もあってか、「参加者それぞれに、こんなに大きな立派な城跡とは思わなかった。」とのことでした。
資料館に入ったとき、名護屋城の説明とともに、朝鮮からの被虜人のことが書いてありました。文禄・慶長の役で日本軍が連れ帰った被虜人は、約3万人とも書いてありました。「えっ、3万人!」というのが、正直な感想でした。
北朝鮮が拉致した日本人は、百数十人とも言われていますが、400年前には、日本人が朝鮮から約3万人もの人々を拉致していたのです。そして、その拉致した被虜人は、主として職人が多く、その人たちによって、有田焼、伊万里焼などの焼き物文化が北九州に残ったというのです。
その後、伊万里焼のふるさとに立ち寄りましたが、30軒ほどの伊万里焼の店が並んでおり、「色鍋島」のセットを買って帰りました。
焼物師たちは、伊万里や有田の土地に土着し、苗字帯刀を許された人も居たそうです。それにしても、1世の人たちのいきなり、故郷から連れ去られた気持ちを思うと、心が痛みます。
弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清
資料館に入ったとき、名護屋城の説明とともに、朝鮮からの被虜人のことが書いてありました。文禄・慶長の役で日本軍が連れ帰った被虜人は、約3万人とも書いてありました。「えっ、3万人!」というのが、正直な感想でした。
北朝鮮が拉致した日本人は、百数十人とも言われていますが、400年前には、日本人が朝鮮から約3万人もの人々を拉致していたのです。そして、その拉致した被虜人は、主として職人が多く、その人たちによって、有田焼、伊万里焼などの焼き物文化が北九州に残ったというのです。
その後、伊万里焼のふるさとに立ち寄りましたが、30軒ほどの伊万里焼の店が並んでおり、「色鍋島」のセットを買って帰りました。
焼物師たちは、伊万里や有田の土地に土着し、苗字帯刀を許された人も居たそうです。それにしても、1世の人たちのいきなり、故郷から連れ去られた気持ちを思うと、心が痛みます。
弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清
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