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小林麻央さんの旅立ちについて その1

 歌舞伎役者市川海老蔵さんの妻でフリーアナウンサーの小林(本名堀越)麻央さん(34歳)が今年の6月22日に自宅で乳がんの転移のため、亡くなったことが分かりました。麻央さんは、入院されていましたが、今年の5月末ころ、病院を退院して、自宅で闘病生活を送っておられました。
 きっと、麻央さんは、2人の子供(麗禾ちゃん(5歳)、勧玄君(4歳))のために、少しでも一緒に居たいとの気持ちだったのだろうと察します。
 金曜日の夜は、この話題で持ち切りでした。これほど、国民全体から慕われ、心配されていたのでしょうね。本当に残念です。麻央さんのブログが、多くのガン患者の励ましになっていたことからも、その死を惜しむ声が強いです。
 海老蔵さんは、6月23日14時半から公演と公演の間に会見を開きました。
「息を引き取る瞬間、呼吸が苦しそうで、喋れずにいたのですが、最後に『愛してる』と言って旅立ちました。」「私をどこまでも愛してくれたんでしょうね」
 私も、テレビを見ていて、涙が止まりませんでした。
 2人の子供を残して、心から愛する人を残して、心ならずも旅立たなければならない無念さは、いかばかりでしょう。
 しかし、残された海老蔵さんと2人の子供の方は、これからの長い人生を歩んでいかなければなりません。その方が辛い修行かもしれません。
 そして、麻央さんに「愛してる」と言われた海老蔵さんから、「俺も愛してるよ」と言ってあげたら、どんなにか麻央さんは、嬉しかったでしょう。
 僕が海老蔵さんなら、きっと言ったでしょう。

 弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

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Aさんと茨木中学(高校)校歌

 先日、東京のホテルで、私の出身高校である大阪府立茨木高等学校の同窓会組織東京久敬会総会があり、出席させていただきました。
 大阪本部の生澤栄子会長は、私の同期ですが、その挨拶が印象に残りましたので紹介させていただきます。細かいことは記憶が確かでないので、間違っているかもしれませんので、そのときはお許しください。
 旧制茨木中学校出身のAさんは、91歳、旧制茨木中学の出身です。実家の父親から、「お前は6人兄弟の末っ子だから、中学校だけは出してやるが、それから先は、自分で自分の道を切り開け。」と言われたそうです。きっと、私の実家と同じように、お金がなかったのだと思います。
 Aさんは、中学校卒業後、ブラジルに移住されました。Aさんは、苦労の末に生活ができるような礎を築かれ、現在日伯協会の役員をされているそうです。
 そのAさんは、血の滲むようなご苦労をされたそうですが、苦しいとき、辛いときに、いつも茨木高校校歌を歌われ、心を慰められたそうです。
 校歌がそれほど大きな役割を果たした例を聞いたことがなかったので、非常に感激しました。
 下記が茨木高校校歌です。銀座ファースト法律事務所の公式ブログの2015年12月06日版にも掲載されております。

  天つ空見よ 日月も星も
  其時違えず その道めぐる
  我等も各々 力行やまず
  本務を尽して 天意にそはん

  世々の跡見よ いづれの国も
  つとめておこり おごりて亡ぶ
  我等も互に 荒怠いさめ
  至誠を致して 国運たすけん

   弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

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