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羽生結弦の名言 その1

 羽生結弦選手は、1994年12月7日生れの射手座だそうです。ご両親は、射手座にちなみ「弓に結ばれた弦のように凜(りん)と生きて」と名付けたそうです。
 本人は、頭のいい人で、名言の名手ですね。羽生結弦選手の名言のいくつかを紹介しましょう。
 「努力はウソをつく、でも無駄にはならない。努力がウソをつかないんだったら、やっぱり練習量を1番している人が、毎回、毎回、優勝できるでしょう。
オリンピックでも…どんなに努力している人でも、勝てない時は勝てないんだなと思った。逆に、本当に若い選手が勢いで取っちゃうってことも。」
 「とにかくやるべきことはやってきた。自分は恵まれている。日本人として金メダルを持ち帰れることはすごく誇りに思っています。」
 「オリンピックの本当の怖さ、オリンピックの魔物というものを少し感じた。いつも通りにやろうとしたら僕の負け。連覇よりも、短い準備期間でどれだけ成長できるかに集中する。僕がみんなを支えるなんて間違っていた。僕がみんなに支えられていた。」
 「負けてたまるかという怒りの感情が原動力になる。負けても悔いはないは嘘。勝てない試合が楽しいわけがない。自分が負ける勝つではなく、高みに立とうとしていることが大事。どんな状況でも全力を出すのはスケーターとしての流儀。」
 「自分は今ここに1人でいます。金メダリストは、日本の男子スケーターとして1人しかいないですけど、表彰台に上がったとき、本当に日本の皆さん、世界中で応援してくださった皆さんの思いを背負って演技できたことをうれしく思いました。恩返しができたんじゃないかなと思っています。」

弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清
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羽生結弦選手のオリンピック2大会連続金メダル

本日2月17日、平昌オリンピックのフィギュアスケートで、羽生結弦選手が、合計317・85点の成績で、ソチオリンピックに引き続き、2連覇を飾り、平昌オリンピックの日本勢の金メダル第1号に輝きました。また、宇野昌磨選手が合計306・90点で銀メダルに輝きました。
 羽生結弦選手は、昨年11月のNHK杯前日練習で、ジャンプに着氷した際に転倒し、右足首の靱帯を痛め、3か月間、戦列を離れ、正直、オリンピックに参加できるのだろうかと心配しておりました。
 日本スケート連盟は、これまでの羽生結弦選手の実績を評価して、NHK杯や全日本選手権の成績などの条件無しに、早々と平昌オリンピックへの代表を決めました。しかし、羽生結弦選手は、見事にこれに応え、今回の優勝を成し遂げたのです。
 右足の傷は治ったとしても、これまでの練習不足は否定しようもありません。どんな滑りをするのだろうと、昨日のショートプログラムの成績を見るまで心配でした。ショートプログラムは見事な成績で、1位になりましたが、フリーは、4分もの長丁場ですので、右足に負担が生じすぎないかが心配でした。
 しかし、羽生結弦選手は、見事にその期待に応えてくれました。
 羽生結弦選手のことだから、きっと陰で独り練習をこなし、2月16日のショートプログラム、そして2月17日のフリーに向けて、それに頂点を合わせて練習を重ねてきたのでしょう。
 金メダルが確定した後のコメントで、羽生結弦選手が、「右足ががんばってくれました。けがのせいで練習できなかったことを含めてたくさんの方に心配をかけました。いままで以上の応援があって、恵まれていたと思います」と述べていたのが、印象的でした。
 羽生結弦選手、本当におめでとうございます。
 そして、日本の皆さん、本当におめでとうございます。

   弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

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