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橋本多佳子と高浜虚子の出会い その2

 多佳子は、1957年、廬山荘の句会から35年ぶりに、鎌倉にて虚子と再会します。虚子が亡くなる2年前、虚子83歳のときのことです。多佳子は、58歳になっていました。
 もちろん、虚子は、女流俳人としての多佳子のことは、前から良く知っていたでしょう。そのとき、多佳子は、虚子に対し、35年前の、

「落椿 投げて暖炉の火の上に」

の句の話をし、それを切っ掛けに、俳句を始めたこと、現在は「馬酔木」の同人であり、山口誓子に師事していることを話します。  もちろん、虚子は、水原秋桜子も山口誓子も自分の弟子ですから良く知っています。それよりも、自分の門下生として、女流俳人4Tの1人として活躍している多佳子が自分の詠んだ句を切っ掛けに、俳句を始めたことにどんなに誇らしく思ったことでしょう。

 私は、この話を6か月前から私が師事している坊城俊樹先生(虚子のひ孫)からお聞きしたとき、多佳子の感受性の鋭さに改めて感心するとともに、その記憶力の良さにも驚いたものです。35年前の虚子の1つの俳句をいつまでも憶えているものでしょうか。本当にすごい逸話だと思います。

  弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清
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橋本多佳子と高浜虚子との出会いその1

 橋本多佳子(1899年1月15日生)は、筝の家元の娘として厳しく上品に躾けられておりましたが、18歳のときに、実業家の橋本豊次郎と結婚します。

 多佳子の俳人としての出発は、1922年3月25日、高浜虚子(1874年2月22日生)が多佳子の別荘兼自宅の小倉の廬山荘を訪問し、句会を開いたことが切っ掛けです。このとき、多佳子は23歳で、虚子は48歳で、年の差25歳でした。
 当時多佳子は、美人で評判の資産家の奥様で、2人の女の子のお母さまでした。このときの兼題(句題)は、「落椿」でした。このあとも多佳子は2人の女の子を産み、合計4人の女の子を育てます。
 解説では、多佳子が、落ちていた椿の花びらを拾って、何気なく暖炉に投げ入れたそうです。
 この所作を見ていた高浜虚子が、

 「落椿 投げて暖炉の火の上に」

という句を詠みました。
 炎の色と対比された落椿の紅の美しさを読んだ句です。しかし、それは、すぐに、燃えて灰になってしまいますので、正に一瞬の美しさです。
 多佳子は、この虚子の俳句に感動し、これが本格的に俳句を始める切っ掛けとなり、当時の女流俳人杉田久女に師事したのです。
 多佳子は、その後久女の紹介で山口誓子に師事し、水原秋桜子主宰「馬酔木」の同人となります。
 そして、多佳子は、当時活躍していた中村汀女、星野立子、三橋鷹女とともに、女流俳人の4Tと言われるようになりました。
 私は、「落椿 投げて暖炉の火の上に」の俳句は、良い句だとは思いますが、「多佳子が俳句を始める切っ掛けになるほどの句だったのだろうか。」とふと考えてしまいます。
 そして、多佳子の俳人としての感受性に非常に感動した次第です。

 弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

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