fc2ブログ

津田梅子ら、岩倉使節団の女性随行者3名について

明治になってまもなくの明治4年から明治6年まで、日本から派遣された岩倉具視をリーダーとし、政府首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成された使節団が、欧米12か国に派遣されました。これを岩倉使節団と呼んでいます。
この中で特筆すべきは、山川捨松、永井繁子、津田梅子という3人の女性が含まれていたことです。津田梅子(6歳)、永井繁子(10歳)、山川捨松(11歳)でした。あとの2人は、病気やホームシックで帰りましたが、津田梅子、山川捨松などは、10年近く長く外国に逗留しました。

明治政府は、明治5年に明治学制を定め、男女共に教育が必要であると定めていました。ここで、女性にも教育が必要であると学制で定めていたことが重要であり、明治維新を推進した人たちが女性教育を重要なミッションとして考えていたことに驚きます。
山川捨松は、帰国後、英語、フランス語、ドイツ語を駆使し、社交ダンスも上手であり、その上美人でしたので、「鹿鳴館の花」といわれるようになりました。彼女は、10 年間の留学期間も過ぎ、津田梅子と同時に帰国しました。帰国した山川捨松らは、ほとんど日本語を忘れてしまい、わずかに「ねこ」という単語を覚えているのみだったそうです。

山川捨松という名前は、留学に際し「お前を捨てる。しかし無事に帰ってくるのを待つ」ということだったようです。留学中の捨松の成績はとても優秀で、日本人女性としては初めてアメリカの大学を卒業したそうです。捨松は留学期間を1年延長し、1882年(明治15年)に11年の留学生活を終え、帰国します。後に、軍人の大山巌と23歳で結婚したそうです。当時の女性の結婚適齢期は17~20歳であったため、23歳という年齢は適齢期を過ぎた女性と扱われたそうです。

津田梅子は、女子英語塾を創設し、山川捨松も、その後女子英語塾の経営に携わったようです。また、津田梅子は、津田塾大学(女子英語塾)の創始者として、余りにも有名ですが、独身のまま一途に学校経営にその生涯を捧げたそうです。
永井繁子は、アメリカでは音楽を専攻したため、帰国後、官立の東京音楽学校(現東京藝術大学)・東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)で音楽と英語の教鞭を取り、ただ一人の女性教授の地位となったようです。
 この3名は、女性として、本当に素晴らしい人生を歩まれたものだと尊敬をしています。



銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清
スポンサーサイト



アメリカ大統領にバイデン氏が当選確実

 アメリカの大統領選挙でバイデン候補がやっと当選確実になりました。
 バイデン氏は、前回共和党が獲得した中西部のラストベルト(さびた工業地帯)のミシガン、ウィスコンシン両州などの激戦州を獲得し、勢いに乗りました。そして、東部のペンシルベニア州の開票結果で、バイデン氏が勝利することが確実となったため、当選確実の発表をするに至ったものです。
 この選挙結果は、遅くとも3日前には確実に予想されていたと思います。今回、コロナ禍の中で、郵便投票を民主党が奨励し、共和党は、郵便投票は不正が行われやすいとして、できるだけ直接投票に行くように奨励していたのです。ですから直接投票の結果のみを集計すれば、共和党が多数を占めるだろうことは、予想されていたことです。しかしながら、郵便投票の結果が加算されるにつけ、予想通り民主党バイデン氏の票が伸びていったのです。おそらくすべての票を集計すれば圧倒的な大差でバイデン氏が勝ったでしょう。
 トランプ氏は、このことを予想していたのか、残る6州について、票の集計の停止などを求める裁判を提起しました。そして、バイデン氏の当選確実が出た本日においても、トランプ氏は、敗北宣言をせず、「民主党により投票用紙を盗むなどの不正が行われた。最高裁まで争う。」と公言して憚らないのです。
 申立てが認められるためには、証拠が必要であることは言うまでもないことだと思いますが、トランプ氏が確実な証拠を持っているとは到底思えません。トランプ氏は、数億円の弁護士費用を用意しているといい、またバイデン氏側も、数億円の弁護士費用が掛かるので、国民に寄付を要請すると言っております。
 今回のトランプの諦めの悪さは相当ひどいと思います。当選確実が出た時点で、トランプ氏は敗北宣言をして、「私が負けたのは残念だったが、今後は一つのアメリカを作るために頑張ってほしい」と、どうして潔く言えないのでしょう。そうすれば、トランプ氏の評判は、どんなにか上がったことでしょう。
 バイデン氏は言っていました。「皆アメリカ人です。分断ではなく、団結です。今後は、1つのアメリカを作るために行動しましょう。」と。

 銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

富士山その1

 富士山は、平安時代前半の1083年までは、度々噴火していました。アイヌ語の「フチ」=「火」が語源だとされています。要するに、「火を吹く山」が語源だというのです。
 事実、平安時代までは、常に噴煙を上げている山だったのです。
 竹取物語の中で、竹から生まれたかぐや姫は、美しく育っていきます。
 かぐや姫の美しさはあっという間に噂になり、求婚者が続出します。
 特に熱心に求婚した5人の貴公子に対し、かぐや姫は言い伝えでしか聞いたことのない宝物を持ってくるよう難題を要求しました。仏の御石の鉢、蓬莱の木の枝、火鼠の皮衣、竜の頸の五色の珠、燕の子安貝を探してくるようにとの要求です。しかし、空想上の宝物ですので、誰一人持ってくる人は、いなかったのです。
 美しいかぐや姫の噂は都の帝(みかど)の耳にも届き、帝はぜひともかぐや姫に会いたいと願いますが、かぐや姫は、会おうともしませんでした 。
 月日が経過した8月のある日、かぐや姫は、月を見て泣いてしまいます。お爺さんが、かぐや姫に対し、何故泣いているのかと尋ねると、かぐや姫は「私は月の人間で、8月15日にはお迎えが来て月に帰らなれければならないのです」と言うのです。旧暦の8月の一五夜(名月の日)ですね。
 お爺さんたちはびっくりしました。それを聞いた帝(みかど)は兵士を出してかぐや姫を月に帰さないようにするのですが、月からの迎えが現れると兵士たちは身動きができなくなってしまいます。
 かぐや姫は、別れ際にお爺さんとお婆さんへの手紙と天の羽衣と不老不死の薬を贈りました。そして、かぐや姫は、月に帰っていったのです。
 しかし、 お爺さんとお婆さんは、かぐや姫がいなくなったこの世で、不老不死の薬なんか要らないと言って、駿河の国の最も高い山の頂上に登って、薬を焼いてしまいました。
そのとき、お爺さんとお婆さんに付き添って、高い山に登ったのは大勢の士(さむらい)だったのです。
そこで、そのときから、その高い山のことを「富士」(さむらいに富む)山と呼ぶようになりました。また、「不死」の薬を焼いたので「不死」山と名付けたということです。
そして、その時に燃やした不老不死の薬の煙がいつまでも消えずたなびいているので、今も富士山には煙が絶えないんだとさ……(おしまい)
ということなのです。
 この竹取物語の話は、中学1年生か2年生に国語で習ったと記憶していますが、富士山の命名の根拠と共に、今でも記憶に残っているのです。
弁護士 田中 清


江戸時代の人達の「読み書き」について

 識字率というのは、国民総数のうちで、「読み書き」ができる人の割合を言います。
 江戸の文化文政時代の文芸本といえば、十返舎 一九の「東海道中膝栗毛」や式亭三馬の「浮世風呂」「浮世床」、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」などが有名です。また、元禄時代の井原西鶴の滑稽本も文芸本でしょう。このほか、「かわら版」なども発行されていました。
 さてこのような文芸本については、江戸の庶民が買い求めていたのですが、果たして、庶民の皆さんは、読むことができたのでしょうか。
 江戸時代、武家の子弟は、諸藩が設立した「藩校」に、庶民の子供は民間の「寺子屋で「読み書き」を学び、さらに身分や性別に関わらず誰でも通える「私塾」もあったそうです。実際に藩校に通いながら私塾で学ぶ武士の子弟もいたそうですし、寺子屋で学んだのち、さらに高度な教育を求めて私塾に通う庶民もいたとのことです。当初は男子生徒が多かったようですが、江戸後期になると江戸の中心部では男女の生徒数が半々くらいになり、女性の学習意欲も向上していったことがわかります。
 このように、庶民は、寺子屋で「読み書きそろばん」を習っていたのです。実に女性も含めて9割近くの人が読み書きができたそうです。ヨーロッパと比較しても非常に高い、驚くべき識字率だったのです。一説には、識字率は世界一だったという人もいるくらいです。寺子屋は全国で1万5000軒もあったそうです。
 庶民の娯楽は、歌舞伎、落語や講談などの寄席などであり、歌舞伎小屋は3軒、寄席は一説には1000軒ほどあったそうです。歌舞伎俳優を描いた浮世絵も飛ぶように(?)売れたそうです。また、歌川広重や葛飾北斎などの浮世絵は、庶民が旅行気分を味わえるとあって非常に人気が高かったそうです。しかも、浮世絵は、版画ですので、何枚も刷ることができますので、そば一杯分ほどの安い値段で買えたということです。
 私は、10年ほど前に、フランスのジヴェルニーのモネの邸宅に行ったことがあります。その邸宅には、何枚もの浮世絵が飾ってあり、睡蓮の池を擁した日本庭園があり、日本とのつながりの深さを感じたものです。
 この歌川広重のほかにも葛飾北斎の浮世絵も、ヨーロッパの印象派の画風に強い影響を与えたことは、有名な話です。また、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏の富士」は、フランスの作曲家ドビュッシーが、仕事場に掲げ、交響曲「海」を作曲したことはよく知られています。
 弁護士 田中 清
プロフィール

弁護士田中清

Author:弁護士田中清
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR