銀座通りについて
去る10月7日、オリンピックメダリストたちが、銀座中央通をパレードしました。そこで、ときどき、「パレードは見られましたか」との質問を受けますが、「ちょうど、出張があり、見られませんでした」とのやりとりが続きます。
そのことは、さておき、銀座中央通は、そのむかし東海道だったのですね。日本橋を起点とする東海道は、銀座中央通を通って、品川の宿まで行って草鞋の紐を解いたのでしょう。
そう思って、本日、銀座2丁目の英國屋の前に行くと、銀座跡地の石碑が立っております。要するに、銀座というのは、江戸時代の銀貨幣鋳造所であり、2丁目を中心としたところにあったものと思われます。今は、5丁目から8丁目辺りが、飲み屋街として有名ですが、松屋、三越のデパートは、3丁目、4丁目にあり、この辺りが銀座の中心であったことがよく分かります。
日比谷公園辺りは、入江であり、後に海を埋め立ててできたことが分かりますが、銀座は、もともと半島状の陸地であったようです。
それにしても、私が毎日のように見ている銀座中央通りが、そのむかし、東海道であったということを不思議に思います。
弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清
そのことは、さておき、銀座中央通は、そのむかし東海道だったのですね。日本橋を起点とする東海道は、銀座中央通を通って、品川の宿まで行って草鞋の紐を解いたのでしょう。
そう思って、本日、銀座2丁目の英國屋の前に行くと、銀座跡地の石碑が立っております。要するに、銀座というのは、江戸時代の銀貨幣鋳造所であり、2丁目を中心としたところにあったものと思われます。今は、5丁目から8丁目辺りが、飲み屋街として有名ですが、松屋、三越のデパートは、3丁目、4丁目にあり、この辺りが銀座の中心であったことがよく分かります。
日比谷公園辺りは、入江であり、後に海を埋め立ててできたことが分かりますが、銀座は、もともと半島状の陸地であったようです。
それにしても、私が毎日のように見ている銀座中央通りが、そのむかし、東海道であったということを不思議に思います。
弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清
スポンサーサイト