四天王寺
四天王寺は、聖徳太子創建の寺として有名です。聖徳太子が摂政になった西暦593年に、早くも創建が計画されていたと聞きます。
今から25年前に、大阪勤務のころに、四天王寺を拝観する機会に恵まれました。
案内僧の話では、「ここは、大阪の上町台地にあり、この直ぐ前が海だったと聞きます。」とのことです。「ここの直ぐ前が海?」正にびっくりです。目の前はおろか、はるか彼方まで家がずっと続いています。大阪の中心地である難波は、海の中だったのです。
案内僧の話は続きます。「四天王寺は、真西を向いて建っています。聖徳太子は、中国との国交を考えていました。遣隋使の派遣もされました。中国から使節が来たときに、この上町台地に立派な極彩色の七堂伽藍があるのを見て、日本の国は何と立派な国だろうと度肝を抜かれます。聖徳太子は、そのようなことも計算されて、外交交渉を有利に展開しようと考えられていたのです。午後に船着き場に到着した外国の人は、西日に照らされた極彩色の伽藍を見て本当に驚かれたことでしょう。」
なるほど、後進国と思っていた日本がこんなに発展していたとは思いもしなかったでしょう。
案内僧は、私たちを伽藍に案内します。「四天王寺は、これまで、何度も焼けましたが、最近では戦災で焼けてしまいました。そのとき、四天王寺の住職は、二度と焼けないように、鉄筋コンクリートで伽藍を作ったのです。」
このとき、案内僧の力強い言葉とは反対に、鉄筋コンクリートの建物は、方々でひび割れていることが気になりました。鉄筋コンクリートの建物は、確かに容易に燃えませんが、方々でひび割れている姿をみると、それほど丈夫な建物ではないと感じました。
借地法は、借地の上に建築する建物について、堅固な建物と堅固でない建物に分けていました。堅固な建物というのは、概ね鉄筋コンクリートの建物を指すと考えられていました。借地法は、借地契約の存続期間を、堅固な建物については60年、非堅固な建物については30年と定めていましたが、平成3年に制定された借地借家法は、堅固、非堅固の区別を止め、借地契約の存続期間を一律30年と定めました。
私は、四天王寺を拝観して、借地借家法が制定されたときに、堅固、非堅固の区別が廃止されたことは、合理的だと考えました。
弁護士 田中 清
今から25年前に、大阪勤務のころに、四天王寺を拝観する機会に恵まれました。
案内僧の話では、「ここは、大阪の上町台地にあり、この直ぐ前が海だったと聞きます。」とのことです。「ここの直ぐ前が海?」正にびっくりです。目の前はおろか、はるか彼方まで家がずっと続いています。大阪の中心地である難波は、海の中だったのです。
案内僧の話は続きます。「四天王寺は、真西を向いて建っています。聖徳太子は、中国との国交を考えていました。遣隋使の派遣もされました。中国から使節が来たときに、この上町台地に立派な極彩色の七堂伽藍があるのを見て、日本の国は何と立派な国だろうと度肝を抜かれます。聖徳太子は、そのようなことも計算されて、外交交渉を有利に展開しようと考えられていたのです。午後に船着き場に到着した外国の人は、西日に照らされた極彩色の伽藍を見て本当に驚かれたことでしょう。」
なるほど、後進国と思っていた日本がこんなに発展していたとは思いもしなかったでしょう。
案内僧は、私たちを伽藍に案内します。「四天王寺は、これまで、何度も焼けましたが、最近では戦災で焼けてしまいました。そのとき、四天王寺の住職は、二度と焼けないように、鉄筋コンクリートで伽藍を作ったのです。」
このとき、案内僧の力強い言葉とは反対に、鉄筋コンクリートの建物は、方々でひび割れていることが気になりました。鉄筋コンクリートの建物は、確かに容易に燃えませんが、方々でひび割れている姿をみると、それほど丈夫な建物ではないと感じました。
借地法は、借地の上に建築する建物について、堅固な建物と堅固でない建物に分けていました。堅固な建物というのは、概ね鉄筋コンクリートの建物を指すと考えられていました。借地法は、借地契約の存続期間を、堅固な建物については60年、非堅固な建物については30年と定めていましたが、平成3年に制定された借地借家法は、堅固、非堅固の区別を止め、借地契約の存続期間を一律30年と定めました。
私は、四天王寺を拝観して、借地借家法が制定されたときに、堅固、非堅固の区別が廃止されたことは、合理的だと考えました。
弁護士 田中 清
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