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大洲市の転落事故

先日、愛媛県大洲市の山道を、ある4人のバイクライダーが近々行われるコースの下見をするために、バイクで疾走しておりました。そして、先頭を走るライダーが、崖下に転落した1台の軽トラックを見つけました。しかも、そのトラックは、タイヤを上にした状態で逆さまにひっくり返っていたのです。トラックの中には、人がまだ取り残されているように見えました。
そこで、ライダーたちは、急いでバイクを降り、救助に向かいます。  中にいたのは、高齢者の女性でしたが、逆さまになって身動きが取れない上、胸の痛みを訴えています。
一刻を争う事態にライダーたちは、すぐさま119番通報をしました。
救出に向かったライダーは「びっくりですね。本人も覚えてなくて、『私はどこにおるん?』って形だったので。」「もし、あばらとか骨折してて無理やり出して、痛めてもダメだ。」と思って、救急車が来るまでは車の中で安静にしてもらったそうです。しかし、救急車に救出された女性は、幸いにも軽傷で助かったそうです。

しかし、実はライダー4人は、コースを間違えていて、本来通るはずではなかったルートを走行していたのです。救出に向かったライダーたちは、道を間違えたことによって、人の命を助けられたのです。
本当に、不幸中の幸いでした。
このような道を間違えた失敗により、人命が助けられることもあるのだと、つくづく思わされた出来事でした。



銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

池江璃花子さんのオリンピック代表内定

池江璃花子さんは、3年前、白血病を患われましたが、この病気から復帰し、女子100メートルバタフライ決勝を57秒77のタイムで優勝しました。

この競技は、400メートルメドレーリレーの代表選考を兼ねており、リレー派遣標準記録は57秒92だそうですが、池江さんは、このタイムを突破して優勝したことで、メドレーリレーの代表にも内定したということです。

池江さんは、東京大会はとても無理だろうということで、「2024年のパリ大会を目指す」とおっしゃっていましたが、4年も早くオリンピック出場の夢を叶えられたことで自らも、涙を流しながら感激されていました。

「5年前の五輪選考会よりも、ずっと自信もなかったし。自分が、勝てるのは、ずっと先のことだと思ってたんです。しかし、勝つための練習もしっかりやってきました。自分がすごく自信なくても、努力は必ず報われるんだなと思いました。」

「今の自分は、前から言っている通り、この東京五輪に出ることがメインではないので、しっかり経験を積んで、準決勝よりも速いタイムで泳げたらいいな」と冷静に話されていました。

フジテレビのアナウンサーだった笠井さんも悪性腫瘍で闘病中、池江さんの言動に何度も励まされてきたと言っております。今回代表内定のニュースを知って、「優勝するなんて凄すぎます 大感動です あなたはすばらしい人です」とたたえました。

私も、3年前、池江さんが白血病を患ったことを知り、本当に驚き、また池江さんの復活を心から応援してきました。
しかし、池江さんが見事に復活されて、そのうれし涙を見たとき、本当に心の底から嬉しく思いました。この上は、オリンピックで表彰台に上がられることを願ってやみません。「努力が必ず報われる」ことを信じて。

池江さんの復活は、白血病に苦しむすべての人の激励にもなるでしょう。

銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

公衆電話の減少

この頃、町を歩いていても、駅に行っても、公衆電話を随分見かけなったと思います。これは、スマートフォンや携帯電話の普及によるものと思います。
そういう私も、ここ5年くらい、公衆電話を使ったことは一度もありません。やはり、スマートフォンを使っていることによると思います。

統計によると、20年前の公衆電話の台数は、約75万5000台、現在は、約15万5000台だそうです。
東日本大震災の時には、公衆電話の重要性を改めて認識させられましたね。携帯電話から掛けてもつながらないのに、公衆電話から掛けるとつながるのです。

「公衆電話」は言葉通り「公衆」の「電話」であり、結構な数が電話ボックスに収められる形で随所に配置され、誰もが有料で利用できるインフラとして提供されておりました。他には緊急時に救急車や警察を呼ぶための拠点としての意味合いもありました。

規則によれば、公衆電話は社会生活上の安全および戸外での最低限の通信手段を確保するとの観点により、市街地では500メートル四方に1台、それ以外の地域では1キロ四方に1台は設置することが求められているそうです。
JR東日本、JR東海など新幹線を運行する5社は、最近、令和3年6月30日限り、全ての新幹線の車内にある公衆電話を廃止すると発表しました。やはり、携帯電話やスマートフォンの普及が、公衆電話の廃止に拍車をかけたのでしょうね。


銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

ある女性社長の話・GF(銀座ファースト法律事務所)の教訓

昨日、干場弓子さんのお話を聞く機会がありました。
干場さんは、1985年出版業を営むディスカヴァージャパンを創業され、今日まで、ずっと社長を続けてこられました(最近、社長業は辞められたようですが、創業者であることは間違いありません。)。

干場さんは、あるオーナーから出版業をやってみないかと声を掛けられ、干場社長を含め5人で創業されたそうです。しかし、10年ほど経ったころ、5人のうち優秀な3人の社員から一度に退職を申し出られたということです。
干場さんは、優秀な3人が辞められることを知り、オーナーに対し、事情を説明し、「どうしたらいいでしょうか」と聞かれたそうです。

オーナーは、一言「良かったんじゃないか」とおっしゃったそうです。
私は、講演の最後の質問で、「オーナーはどうして『良かったんじゃないか』とおっしゃったのでしょうか。」とお聞きしたところ、次のように答えられたのです。
1つは、「私がそのように仕向けていた(誘導していた)んじゃないか」とおっしゃるのです。「離婚でも、社員との別れでも、自分で嫉妬したり、冷たくしたりしていたんじゃないか」というのです。正に、「起こるべくして起こった」のではないかとおっしゃったのです。
もう1つは、「現実を受け入れた方がよい」という考えです。天災でも、人災でも長い人生の間には、自分の望まないことが起こることがあります。そのときに、現実に起こったことは仕方がないとして「受け入れる」というのです。

この「起こるべくして起こった」ということと、「現実を受け入れた方がよい」ということは、人生の教訓として学ばせていただいたと思いました。

銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清

キリスト教の伝来と日本人の名誉心

1549年に薩摩に上陸した南蛮人により、キリスト教が広まっていったと言われております(中学時代社会の授業で、「以後よく(1549年)広まったキリスト教)と教えられました。)。

それでは、なぜキリスト教は日本人に受け入れられたのでしょうか。
言葉も分からない、顔も日本人とはずいぶん違う西洋人の信仰を受け入れるには、相当の困難を伴ったでしょう。しかし、九州・山口を始め、多くの地方で、キリスト教は受け入れられ、特に天草や長崎(五島列島及び平戸)では、今なお、「隠れキリシタン」が存在し、村の民家で、ひっそりと信仰が続けられ、遂には世界文化遺産に登録されました。

1549年から半世紀のキリスト教は、病院を建てて、民衆を無料又は安い値段で病気を治したり、南蛮寺を建てて民衆に説教したりということもあったようです。大名自らがキリスト教に改宗したり、明智光秀の次女たまが、洗礼を受けて細川ガラシャと名乗ったことは余りにも有名です。私の故郷高槻もキリシタン大名の高山右近の居城であったといわれております。

 キリスト教を広めたフランシスコ・ザビエルは、手紙で、本国に次のような文章を残しているそうです。

 「日本の大部分の人は、貧しいのですが、武士もそうでない人々も、貧しいことを不名誉だとは思っていません。驚くほど名誉心の強い人々で、ほかのなにものよりも名誉を重んじます。」

「身分が高い人もそうでない人も、みんな名誉心が強く恥ずかしいことをしないというのです。」

いわば、貧しいことは恥ずかしいことではない、それで盗みをすることが恥ずかしいことなのだというのです。
日本で忘れ物をして、諦めていたところ、それが返ってきたということは、良く耳にします。これは、日本人が古くから持っている品性(名誉心)なんだと思いますし、日本人として生まれたことに誇りに思いました。


  銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清
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